ENTONI掲載

ENTONI(エントーニ)とは全日本病院出版会が出版している耳鼻咽喉科の臨床疾患を毎月掲載する定期刊行誌です。
編集委員長の東京大学耳鼻咽喉科の近藤健二教授の推薦で「クリニックにおける嗅覚診療」というタイトルで執筆し発刊されました。
以下概要です。
- はじめに
- 全国の耳鼻咽喉科において嗅覚に関する診療、検査が十分に浸透しているとは言い難い。しかし、嗅覚障害はクリニックで対応するのに決して敷居は高くなく、マンパワー不足、時間的制約などにより独自の手法・見解を要することもある。
- 嗅覚障害を専門とした契機
- 大学院時代に嗅覚で医学博士号を取得した時から開業医になっても継続したい願望があった上に「においの治療は別に希望しない」「しゅうかく(嗅覚の言い間違い)」と患者が話すのを聞いて、嗅覚の軽視を痛感し、啓蒙の必要性を自覚した。
- 嗅覚検査
- 基準嗅力検査における「種類と濃度」は聴力検査では「周波数と音量」に該当する。両面を網羅している本検査の測定結果である平均認知域値が“嗅力”である。 当院では配布用の検査結果用紙に“あなたの嗅力は4.0です”と“嗅力”という用語を用いて説明している。また格納容器・検査液瓶を検査の度ごとに、こまめに拭いておき換気を十分にしておけば、排気ダクト・脱臭装置を装備していなくともほとんど臭いは残らない。本検査は労災や交通事故における後遺障害の判定基準にも用いられているので社会的にも必須な検査である。
嗅裂部〜中鼻道に片側性に鼻茸を認めた場合、患側→健側の順に、左右別々に測定している。通常より倍の時間がかかるが、患側のみの異常が判明した際、片側のみのステロイド点鼻使用に留めることができ、ステロイド減薬のメリットがある。嗅覚同定能力研究用カードキット(Open Essence)は再診時にランダムに1〜2種類ずつ施行している。再診時に少しでも検査を組み入れることにより患者の治療意欲が高まる。
日常のにおいアンケートは原法と、各項目に異嗅の有無を加えた2種類を嗅覚障害の原因疾患や自覚症状によって使い分けている。
茶葉を用いたスクリーニング:茶葉は管理しやすく(軽い、安価、冷凍庫で保存可能)、誰でも知っているにおいであることなどからスクリーニング検査として利便性は高い。簡便かつ安価な嗅覚同定検査としてコーヒーやカレー粉を用いたプラスチックボトル法があるが、本法は茶葉を用いたほぼ同等の手法といえる。
- 治療
- ステロイド点鼻療法は受診の度ごとに点鼻室での点鼻を施行しており肩甲部でなく胸部の真下に枕を置いた状態で懸垂頭位を十分に取った後、患者以外の者による点鼻を勧めている。これは一人では点鼻姿勢の確認が不十分で、点鼻液の滴下位置や押し加減も不安定であるためである。必要に応じて鼻毛切除や、嗅裂部が狭窄している症例でのボスミンガーゼの挿入・抜去後での点鼻などを行っている。また改善がみられた場合は点鼻回数を1日2回→1日1回→隔日1日1回と“ステロイド点鼻漸減療法”としている。2か月点鼻を続けた後は1か月点鼻を休薬することとしている。
嗅覚刺激療法は原法ではすぐに飽きてしまう、料金がかかる、信頼性に乏しいと感じる、この方法でしか効かないとの固定観念をもつなどの問題点がある。そのため「日常のにおいアンケート」検査用紙の20の質問項目を日頃嗅ぐよう指導している。また事前の視覚情報をもとに、においがするか確かめる目的にて嗅ぐ「能動性嗅覚」とは別に、家・部屋に入ったときの匂い、エレベーターでの残り香、デパ地下で不意に漂ってくる食材のにおいなど、自然呼吸下において自分では意識をしていないにも関わらず、においを受け身的に知覚しうる状態のことを指す「受動性嗅覚」を重視している。メカニズムは不明であり治療効果の客観的な実証は困難と思われるが、これを感知できるようになったか否かも治療終了の一つの指標にしている。
- におい教育・啓蒙活動
- アロマセラピー、匂いと香りのセミナー、講演会におけるにおいスティック
保健委員会から学会まで様々な場があるが、発表時には必ずにおいスティック(OSIT-J)を設けている。香りを塗布した検査用紙を事前に準備し、当日会場で聴衆に配布する。正答はスライドに提示するだけでなく一斉挙手での返答を行っている。また、時には返答方法を本来の四者択一でなく官能表現としている。このような聴衆参加型だと飽きずに講演内容により興味をもってくれる。
精神科病院での活動としてコロナ禍前まで10年以上月2回、精神科病院のデイケアにおけるアロマクラフト作りに参加しそこで精油を使用する際には、においを嗅いで感じた患者個々の官能表現をホワイドボードに列挙・供覧するよう指導していた。また基準嗅力検査と認知症簡易検査であるHDS-R(長谷川式簡易知能評価)との相関関係を検討した。対象は同病院の認知症病棟の28人(男性10人女性18人)で、基準嗅力検査において認知症が示唆される乖離現象(検知域値と認知域値との差が2.0以上)をきたした患者は15人で、HDS-Rにおいて20点以下は27人であった。相関係数γ=-0.628を呈し両者に相関を認めた。認知症患者への嗅覚刺激療法も認知症病棟の患者16人(男性6人、女性10人)を対象に施行した。疾患の内訳はアルツハイマー型認知症11人、レビー小体型2人、前頭側頭型2人、脳血管性1人であった。
研究開始日に基準嗅力検査、MMSE(ミニメンタルステート検査)、HDS-Rの1回目を施行し、その後コントロール期間を1か月設けた。前述3つの検査の2回目を施行した後に、1か月間毎日、1日1回嗅覚刺激療法(10種類の精油のうち無作為に4種類を選択してにおいを嗅ぎ、どのように感じるかを官能表現で答える)を施行した。その後、検査3回目を施行した後、1か月間ウオッシュアウト期間を設け、検査4を施行し研究終了とした。その結果、基準嗅力検査における平均認知域値の2回目と3回目にて、t-testでの有意差(P=0.06)を認めた。MMSEやHDS-Rでは有意に改善した結果は得られなかったが、官能表現を用いた嗅覚刺激療法を認知症患者に継続していければと考えている。
- 学校検診
- 精油、茶葉など簡便な嗅覚検査を各学年数人程度、無作為に教諭、生徒本人に承諾のうえ施行しているが、生徒のみならず先生、保護者への教育も必要と感じている。
- 最後に
- Axel博士とBack博士のノーベル医学生理学賞が契機となり、嗅覚は飛躍的な進歩を遂げている。嗅力が世間的に認知され、視力・聴力を凌駕するのも夢ではない。将来は情操教育の一環として、幼少期よりにおいに慣れ親しむ“嗅育”が一般的となり、PC・スマホでの香り配信が日常化する、そのような香りに囲まれた日々の到来を望んでいる。