Sweet Smell 6・7月号

最近、TV番組が起爆剤となり、認知症と嗅覚障害、認知症とアロマセラピーが大変注目されています。その内容は認知症の患者は初期症状としてにおいが判りにくくなる、また治療の一環として香りを嗅がせると脳がより刺激され認知症がある程度改善するというものでした。

その影響か、最近は患者さんの方から「匂いがあまりしないのですが、認知症でしょうか」「認知症でないかどうか、においの検査をしてほしい」との声が多く寄せられるようになりました。また嗅覚検査の結果をふまえて「最近は物忘れなどありませんか」「認知症の早期の可能性があるかもしれません」などと言いやすくなり、脳神経外科への紹介も増えてきました。

加えて番組で紹介されたローズマリー、レモン、ラベンダー、オレンジの4種類の精油がほとんどのアロマショップ・サロンの店頭より姿を消す事態となりました。このようなことは初めてで、改めてマスコミの凄さ、恐ろしさを実感しています。

当院における認知症早期発見を目的とした嗅覚障害スクリーニングの手順は以下の如くです。

まず問診、診察をしてアレルギー性鼻炎、副鼻腔炎、感冒など鼻の器質的疾患を除外します。次に基準嗅力検査を行います。これは5種類8段階の検査液を嗅ぎ、感じたにおいの特徴を自分の言葉で自由に表現する検査です。とりあえず何かのにおいを感じることのできる最小の濃度を検知域値、においの種類をほぼ正確に識別できた最小の濃度を認知域値と言い、1.0以下が正常、4.1以上は高度障害です。

加齢による嗅覚障害は単純に嗅細胞そのものの数が減るので検知域値自体が低下します。一方、認知症初期は嗅細胞の減少が起こる以前に大脳皮質内の主に嗅内皮質という主ににおいの認知を司る部位での異常がおこるため、何かのにおいはするけれども識別判断が劣るので認知域値のみが低下します。具体的には検知域値と認知域値の差が2.0以上ある場合(写真)を乖離(かいり)現象といい、認知症の可能性が考えられると判断します。つまり高齢の方で、においそのものが感じにくくなっただけなら加齢による老化現象ですが、においはするけれども、その識別能力の低下が顕著であれば認知症早期の可能性が示唆されるという訳です。

しかしながら上記の条件を満たせばすべて認知症とは限りません。一般的に実際と異なるにおいに感じる状態は異嗅症といい、感冒後、頭部外傷が原因として挙げられ、疾患でなくとも若い女性なら妊娠、月経なども一因として挙げられます。

治療は原因疾患の治療の他に、ステロイドであるベタメタゾン(製品名リンデロン)点鼻液による点鼻療法や内服としては認知症治療薬としても用いられている当帰芍薬散、亜鉛製剤、ビタミンB12などがあります。加えて最近はいわゆる"嗅覚トレーニング"が重要と思うようになりました。

全国の耳鼻咽喉科で導入しているところは、まだかなり少ないと思われますが、嗅覚障害の患者さんに対して「日常のにおいアンケート」を実施しています。これは日本人の生活様式に沿った20種類(炊けたご飯、醤油、みかん、生ゴミ・・など)のにおいが自覚的に判るか否かの自己アンケート検査(正解率70%が正常)ですが、私にとっては検査結果における嗅覚レベルの現状把握よりも、むしろ嗅覚トレーニングのための情報提供の意味合いの方が強いです。

患者さんには日頃よりこの20種類を探し求めて嗅いでもらい、外来受診の度ごとに、嗅いだにおいが判ったか否か、最低1項目は報告するよう指導しています。ただできることなら事前の視覚情報を入れずに嗅いで(においの対象物を見ないで嗅ぐか、見ただけでは何のにおいか想像できないものを嗅ぐ)、感じたにおいを自分の言葉で発現(いわゆる官能表現)した方が、思考と熟慮、過去の学習と記憶が最大限発揮されるよう、海馬その他の脳内伝導路がより活性化するため、認知症予防には最適のトレーニング法なのではと思っています。

この嗅覚トレーニングによる嗅覚障害の改善や認知症予防のデータが今後蓄積されればと思っていますが、認知症という疾患自体が耳鼻咽喉科の範疇ではないので私個人も更なる研鑽が必要と感じています。

最後になりますが、嗅覚障害があると認知症の可能性があるというデメリットのみではありません。最も大事なことは火事・ガソリン・焦げたにおいがわからない、腐った食べ物を食べてしまうなど、生命に関わる危険性が増大してきます。そのためにも世間に興味を持って頂くようこれからも啓蒙活動を続けていくつもりです。